Home > インタビュー > Researcher > Vol.13 稗田 健志先生

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Profile

2010年 欧州大学院大学政治社会学部 博士課程修了。政治社会学博士。2010年より早稲田大学高等研究所助教を経て、2012年より大阪市立大学大学院法学研究科准教授。2014年度に一年間の育児休業を取得。専門は福祉国家論で、最近の関心は「政党システムの変容と福祉改革」。

1.研究との出会

高齢者介護や出産・育児といった「新しい社会的リスク」に、国はどのように応じるのか?

私の関心は、政治と人々の暮らしぶり(=福祉)との間の関係を探ることにあります。どの国でも自分で働いて得た賃金を生活の糧として生きていくというのが基本ですが、人々が何らかのリスクに直面したときに国家がその生活をサポートしてくれる程度は国によって異なります。例えば、失業や老齢のため賃金を得られないというリスクに直面する個人がどの程度それまでの生活水準を維持できるのかは、各国の社会保障制度によって異なります。私が研究するのは、そうした社会保障制度の各国間の違いを生み出している要因です。とりわけ、高齢者介護や出産・育児といった、これまで私的な家庭生活に属する事柄とされ、社会的に対処する必要のあるリスクとはみなされてこなかった「新しい社会的リスク」に焦点を当てて研究をすすめています。

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研究との出会い  なんとかもおだてりゃ…

高校時代から保守主義思想の論壇誌を少ないお小遣いを割いて買って読むような変わった学生でしたが、「研究って面白いかも!」と目覚めたのは大学の卒業論文を書いている頃でしたね。卒論は「分配の正義」と題して、ジョン・ロールズやアマルティア・センの規範理論をまとめました。今の自分がそれを指導する立場であれば「そんな要約だけのお勉強論文は研究じゃない!」と叱るような内容だったのですが、母校の恩師は褒めてくれたんです。それで「研究者に向いてるかも」と勘違いし、せっかく就職した一部上場の大企業を二年で辞めて母校の大学院に進んだのが苦難の途のはじまりでした。「なんとかもおだてりゃ木に登る」といった類のはなしです。

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武者修行  寝る暇もない日々/貴族的な暮らし

本格的に研究者への道を歩み始めたのは、日本の大学院博士課程を休学してコロラド大学ボルダー校政治学部へ留学した頃からでしょうか。ここでの二年間のコースワークは、「先行研究群を批判的に読む」、「クリアな理論を立てて観察可能な含意を引き出し、データでその仮説を検証する」といった、研究を遂行するうえでのある種の「型」を身体にたたき込んでくれました。一年分の奨学金しか日本国内で確保できず、当初は一年間で帰国する予定でしたが、二年目からはティーチング・アシスタントとして働く代わりにコロラド大学が学費・生活費を賄ってくれる奨学生に運良く採用され、コースワークを終えることができました。拙い英語でアメリカ人学生30人の議論を取り仕切ったり、判読不能な手書き英語の小テスト・レポートを毎週のように採点させられたりと、寝る暇もない壮絶な日々でしたが、いまとなっては良い思い出です。

アメリカで二年間勉強してから次の二年半を過ごしたのが、イタリア・フィレンツェにある欧州大学院大学です。ここを基盤に、ストックホルムでフィールドワークをしたり、ワシントンD.C.で資料調査を行い、結果を博士論文にまとめました。これは先進工業諸国における高齢者介護政策の歴史的展開を政治制度の影響の観点から分析したモノグラフです。欧州大学院大学での生活は、学位の取得に向けて研究に邁進できたというのも大きかったですが、欧州知識階層のライフスタイルに触れることができたのも良い経験でした。お昼にはデザートとコーヒー付きのランチをクラスメートと楽しみ、夜は早くに帰宅してプライベートな時間を楽しむ。アメリカや日本の院生生活とは対極ですが、アウトプットという点では遜色がなく、ガリ勉しても生産性は上がらないということを彼らの貴族的な暮らしぶりから学びました。

育児休業  特別な意識からではなく、必要があったから

2014年4月から2015年3月までの一年間、育児休業を取得しました。男性が長期の育休を取得するのはいまだ珍しいとは思いますが、私に何かフェミニスト的なアジェンダがあったわけではなく、必要に迫られただけです。というのも、別の大学で任期付き教員をしている妻が出産予定日にまだ在籍一年未満だったため、その大学では育児休業を取得できなかったからなのです。双方の両親とも遠方に住む私たちには、夫である自分が育休を取得するか、生後3ヶ月の息子をどこかに預けるか、という選択肢しかありませんでした。妻は小学生の頃に亀しか飼ったことのない自分に人間の赤ちゃん(しかもお腹を痛めた我が子!)を預けるのは相当心配だったようですが、何とか一年間子育てをこなすことができました。オムツを替え、ミルクを作って飲ませ、寝付かせる、という単調な作業が延々と繰り返される日々にほとほと嫌気がさしましたし、泣くだけで何ら意味のあるコミュニケーションを取れない息子との日中二人きりの生活にも気分が鬱々とさせられましたが、初めての寝返りや捉まり歩きの第一目撃者となることができたのは一生の思い出です。息子が大きくなって生意気な口を利くようになったら、育休の件を持ち出して恩に着せようと思っています。

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2.ほっとするとき・こと・ものは?

リラックスはできないですが、休日に電車好きの息子を連れて最寄り駅で行き交う電車を眺めるのは大切な親子のひとときです。北陸新幹線のポスターを見て「かんしんせん!」と叫ぶ息子が「しんかんせん」と正しく発音するときが来るのが待ち遠しいような、来て欲しくないような・・・。

子どもを寝かしつけてから夫婦で海外ドラマを観る時間は一日のなかでクールダウンのひとときです。さらに、妻も床に就いてから、ワイン片手に独りでアメリカのシチュエーション・コメディを観る時間は一番のリラックス・タイムです。「ジョークを通じて学術論文では知ることのできない今様の英語表現を学んでいる」というのが表向きの説明です。

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3.後進へのメッセージ

必ず誰かが見ていてくれています

いま振り返ってみると本当に行き当たりばったりの人生で、これまでのキャリアパスを20歳の頃に予定していたわけでは全くありません。そのためあまり実のあるアドバイスはできないのですが、その場その場での課題に全力で取り組み、成果を上げていれば、必ず誰かが見ていてくれています。そして、袋小路に陥りかけたとき救いの手をさしのべてくれます。でも、「幸運の女神には後ろ髪はなく前髪しかない」と言います。チャンスが見え始めてから努力し始めたのでは遅いということですね。だから、遠い将来のことを心配しても仕方のないことなので、今の持ち場で最大限の努力をするしか道を開く方途はないのではないでしょうか。