Profile
1997年、大阪市立大学文学 研究科社会学専攻後期博士課程単位取得満期退学。1999 年、博士(文学)(大阪市立大学) 。2000年、愛媛大学法文学部人文学科助教授、 2007年より准教授。2011年10月より大阪市立大学文学研究科准教授、2014年より教授。専門は、朝鮮地域研究、生活世界の社会学、文化人類学。
生の軌跡から歴史と社会を考える
私の関心は、人生の軌跡から歴史と社会を考えることにあります。時代としては近現代史に関心があり、朝鮮地域研究のなかでも植民地期以降の済州島から日本・大阪への移動にともなう人びとの暮らしの変容について研究してきました。こうした流れのなかで、在日済州島出身者の生活史調査をこの15年ほど続けています。生活史は、お一人ずつについて編集した内容を日本で大学紀要に掲載し、数名ずつまとめ韓国で単行本として出版しています。韓国・済州島のチャムス(海女)の移動と生活についても調査していて、たまに自分も潜ったりします。今年の5月に出版したばかりの本は、植民地期以降に日本へ渡った朝鮮人による酒づくりについてのものです。また、最近はベトナムでも調査を始め、冷戦構造によってもたらされた生活変容について中部の漁村でお話を伺っています。
積み上げられた頭蓋骨を見ながら、日本社会と向き合う
私は学部が英米学科ですので、大学では4年間毎日午前中は英語学と英米文学両方をひたすら勉強していました。イギリスに留学してみて初めて、自分が日本について語る語彙の少なさと知識の浅さを実感し、もう少し日本に近い地域の異文化に触れてみようと思って、中国に行きました。船で上海から入って南京と北京をまわりました。南京の「南京大虐殺記念館」は今みたいに整備されていなくて、田舎の古い建物の中に、ただ人骨がゴロゴロと積んであるだけでした。積み上げられた頭蓋骨を見ながら、欧米中心に作られてきた自分の知識の偏りに改めて気づいたんです。まず、自分が住んでいる日本社会ともっとじっくり向き合おうと思いました。それで、大学時代にお世話になった社会学の先生のアドバイスもあって、アジアにおける日本を考える上で、在日コリアンの人たちについて勉強してみようと思い至りました。大阪市立大学大学院文学研究科社会学専攻前期博士課程へ入学以後、アフリカへの植民地支配と人の移動について研究されている先生に指導をいただきながら、フィールドワークや生活史調査について学んできました。
本ではわからない「激動のなかの人々の生活」へ
前期博士課程では、関西にいたということもあって、在日コリアンが日本で最も多く在住する生野区で1世の女性へ生活史を伺うことにしました。在日コリアンについての文献は数少なく、そのなかでは差別と闘う勇ましい姿か、ただ苦しむ姿は記述されていましたが、日々何を考え、何を嬉しいと思ったり、悲しいと思ったりしてるのかということは、やっぱりわかりにくい。そこで、本ではわからない姿を知りたいという思いで識字学級「オモニハッキョ」(お母さん学校)に通うようになりました。そこに来る人たちは、仕事も一生懸命やりつつ、字を習いたいと思っている人で、女性が多い。特に生野区の場合は在日コリアンが多く、私がいたときの平均年齢は大体70歳前後で、そのくらいの年齢になって初めて鉛筆を持つ方が少なくありませんでした。
修論作成時に出会った方々が済州島出身だった縁で、後期博士課程へ進んでから済州島に行ってみたいと思い、済州大学校へ留学しました。大学には行かず、島の北東部の漁村へ住み込んで村の人たちと海にいって潜ってサザエやテングサを採ったり、人参畑に行って労賃ももらい、ニンニクも植えにいったり、大根の収穫にいったりしました。長期では2年住み、その後今まで約20年間に渡りこの村をメインに済州へ通い、多くの方々にお世話になりながら、植民地支配、解放、冷戦構造のなかでの4・3事件、朝鮮戦争といった激動とともにあった20世紀の済州島の生活の変化について学んできました。激動のなかで、人々の間に亀裂が入り、溝が生まれて反目し合う。一方で新たなつながりも生まれ互助の営みが築かれていく。こうして学んできたことは、決して済州島に特異なものなのではなく、今を生きる私たちの生活とつながっています。
こだわりはない
休日はほとんど出張しています。フィールドワークに出たり、学外の会議が入ったり、研究会があります。これといって特別な息抜きというのはありません。フィールドワークに行っていろんな方にお会いして話しを伺うのが好きです。家にいることができる日は、家族と過ごします。今年中学校1年生になる娘と一緒に声を合わせて歌うと、とても晴れやかな気持ちになります。歌は声を出すだけなので何か特別なモノは不要です。また、私も夫も喫茶店巡りが好きなので、家族3人で近くの喫茶店に寄るのも好きです。事前にいろいろ行く当てを計画しないので、その日の思いつきで過ごすことが多いです。
働くということは、人・事への考慮と配慮とともに成り立つ
私個人の経験を振り返ると、研究において女性であることが不利であると思ったことはあまりありません。ただ、就職した後はやはり男性中心社会なのだと感じることはたくさんあります。特に、妊娠、出産、そして育児のなかで、いろんな場面での配慮のなさを実感しました。これは産む女性だけの問題ではないと思っています。身体や家庭にさまざまな事情を抱えた人はいるはずで、働くということはこうした人・事への考慮と配慮とともに成り立つものです。調査研究や職場のなかで不条理なことに出会ったら、ひとり抱え込まず隣近所に話題を持ちかけることが肝要かと思います。